This is Canadian figure skater Emanuel Sandhu's fan blog.
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カナダ人フィギュアスケーター、エマニュエル・サンデュ選手のファンブログです。
当ブログはリンクフリーですが、リンクの際はトップページへお願いします。
記事訳や掲載写真の無断転載はお断りいたします。
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記事を訳してみました
11月30日 11時30分 ご指導いただき翻訳記事の
2箇所に訂正をしました。
元の訳には打ち消し線、訂正箇所を太字にしています。

先日リンクを貼った、11月4日に出た記事を
訳してみました。
いつもお世話になっているエマファン友達のNaomiさん
(職業 翻訳家)が多忙のため、お手上げだった部分は
アドバイスをもらいましたが、90%は翻訳ド素人の私の訳です。
英語が得意な方、へんなところがあれば、ご指導いただけると
嬉しいです。

_______________________
サンデュはエアの地の氷上でほっとひと息つく
11月4日 クリスティン リベット
 
ノース ダンフリーズより
ブリティッシュコロンビアの息を飲むほど美しい
山や海岸に15年囲まれた後、エマニュエル・サンデュは
新鮮な”エア”を懐かしがっていた。
”ここではボクは呼吸ができる”  元オリンピック選手、
3度のカナダチャンピオンでエア スケートクラブの最も新しい
新米コーチは、今週のどかなウォーター・ルー地区の
新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込みながら語った。
”オンタリオに戻ってこれて素晴らしいよ。
マ(エンザ)ワクワクしてるよ
クは髪を切ってくるように言われて、今は家族の
夕食の席に着くことができるようになったよ。”
サンデュは一つにまとめて結べるほど伸びた髪を
今はバッサリと切り、リッチモンドヒルにある実家の
家族の食卓に再び彼のための席を用意してもらえている。
”この場所には何かがあって、しばらく前から
呼ばれるような感じがしていたんだ。”
お茶目で気ままなサンデュは、最近地元クラブでの
アクティビティの休憩時間に語ってくれた。
33歳のサンデュは、もしかしたらまだ戻ってくるのか、
まだ彼のアマチュア資格は保たれているのだが、子供の頃、
トロントの北の舗装してない道からトウモロコシ畑を、
よく父親にねだってドライブに連れて行ってもらったとか。
ノース ダンフリーズのコミュニティコンプレックスセンターに
本拠地を置くこのエア スケートクラブに新しく着任したコーチは
彼の教え子の親たちから感心した表情を長々と向けられていた。
では彼らの子供たちはどうか?
少なくとも、最初は親たちとは違っていた。
サンデュがコロラド・スプリングスで開催された
グランプリファイナルでロシアの偉大な皇帝、
エフゲニー・プルシェンコに、気がつけば勝っていた
サプライズを起こしてから12年の月日が流れた。
クラブの代表のマリアンヌ・イビーの12歳になる娘のアリソンは、
2014年のナショナルのノービスクラスのペアで2位に入った。
間違いなく、このスポーツの素人ではない。
それでも、彼女は、最近の氷上練習で、この長身で浅黒
ハンサムな見知らぬ人が氷の上を大きく堂々と弧を描いて
るのを見て、誰なのか検討もつかなかった。
しかし、彼がそのトレードマークのAラインスピンをしたとき
母親の元に報告に行った。”あぁ、あれはエマニュエル
考え出した動きなのよ” とマリアンヌは応えた。
その目を引く素晴らしいルックス、温かい人柄と同様に、
知らずに見たら仰天する才能
十分に発揮されることはなかったかもしれないが、
その驚くべき才能
よく知られたサンデュは、
創立45年のエアクラブのコーチングスタッフの中に
を連ねている。
カナダが生んだ、最もエレガントなスケーターの
一人であるサンデュはこの競技を7年前に中断した。
13位に終わったトリノオリンピックを含め国際競技で
結果に失望したからだ。
それでも、細身で健康的なサンデュは2013年に
ナショナルにミニカムバックを果たす。
それまでのキャリアからはほど遠い9位だったが
長年の熱心なファンからは大きな賞賛を浴びた。
このエアクラブに来たことで、エマニュエルは昔のコーチ、
ロシア人のゲナディ・カスコフと再びタッグを組むことになった。
彼は10歳の神童と呼ばれた天才少年のそのスケートキャリアの
期段階に指導していたのだ。
”ここに来ることがわかった時、ボクはそのドアを通り抜けたんだ”  
ンド人の父とイタリア人の母の間にまれたサンデュは言う。
カスコフは、コーチとしてカナダのあちこちを点々とした後、
ウォーター・ルー地域で数年落ち着いている。
ソビエトの代表として滑っていた1987年、キッチナーの
AUDアリーナで開催された、世界ジュニア選手権で
優勝したことが、彼の競技人生の中での一番大きな勝利だった
彼とアイスダンスの元パートナーのイロナ・メルニチェンコ
金メダルに輝いた。
サンデュと再タッグを組んでから、カスコフは彼
新しいホームを”完璧なホーム”と呼ぶようになった。
”我々は、次のレベルに向かう準備ができている。
我々は成長する準備もできている。
々は今後どんなことに対しても
っかり対応する準備ができている。”
カスコフと妻のLEANNEの間に生まれた3人の子供達の
名誉家族(叔父)となったサンデュはカスコフのことを
”今まで見た中で最高のスケーターの一人”と呼ぶ。
サンデュはワールドクラスのスピンからオフアイス
トレーニングまで膨大な知識経験をクラブにもたらしてくれた
とカスコフは言う。”彼がこのホーム を完璧にしてくれた。”
ナショナルバレエを卒業したサンデュは
コーチ業を始めて約2年ほどになる。
ボクは自分の教えるスケーターたちに才
広げてもらいたいし彼らが人間として成長するのを
手助けしていきたい。結局、人は自分自身を氷の上に
出すことになるのだから。だから、氷の上で
物でないとね。” と説明した。
彼の次世代のスケーターたちへの愛情は、イビーから
高く評価されている。サンデュは全ての子供に、
その子の持つスケートのレベルに関係なく
平等に接するからだ。 
”ボクは子供達が大好きなんだ。彼らはボクにたくさん
喜びを与えてくれる。” 100万ワット級のキラキラ
輝かんばかりの笑顔でサンデュは言った。
今でも表現に関するあらゆる創造形式に強い関心を持ち
数年前には So You Think You Can Dance Canada の
番組にも登場した。
”ボクにはアーティストの視点がある。どんな表現手段であれ、
自分の仕事を通じて真実を見つけていきたい。
全ては表現の自由。 もちろん、つま先でもね
つま先は伸ばしてね。 
 
10:16 Article translated into Japanese comments(0) -
Sandhu joyfully returns to competitive skating

Emanuel's article at Icenetwork.

click here link to the article


少々ご紹介が遅れましたが。。。
またまたnaomiさんが訳をしてくださいました。
(いつもいつも、本当にありがとうございます!!)
icenetworkに出ていた記事です。

Sandhu joyfully returns to competitive skating

 

2013年のカナダ選手権に出場している男子シングル選手は、
ほとんど知らない顔ばかりだ──カナダ選手権を3度制し、
世界選手権とオリンピックに出場したエマニュエル・サンデュは、
そう正直に言った。32歳のサンデュが最後に試合に出場したのは、
今から6年前になる。当時はさまざまな不満を抱えたまま
競技の世界を離れることになった。

 今回の復帰を決意したのは、フィギュアスケートを
始めたばかりのころの喜びを取り戻すためだ。


「自分のしていることを心から楽しみたかったんです」
とサンデュは言う。ミシソーガで開催されたカナダ選手権では
11位という成績だった。

「前回の6年前に試合に出たときは、スケートがまったく
楽しめなかった。後から競技生活をふり返ったときに、
あれが最後の試合になるのはいやだったんです。
僕はただ、試合で戦いながらも楽しめるということを、
自分に向かって証明したかった」

 
今回の復帰は、コーチも振付師もいないなかでの挑戦だった。
自力でできることを証明したかったからだとサンデュは言う。
プログラムは昔のものを使っているが、テクニカルスペシャリストに
助言を求め、現在の採点システム(IJS)に合わせて
手直しをしている。衣装までも昔と同じだ。今でもすべて
身体にぴったりだとサンデュは言う。

 
IJSにもさまざまな変更が加えられ、かつてより演技の
自由度が増したことも、サンデュが復帰を決意した
大きな一因だった。そもそも何年も前にダンスよりも
フィギュアスケートを選んだのも、スケートのほうが
より自由に演技ができるからだった。


IJSのプログラムを見ていると、これは詰めこみすぎだと
思うことがある。あそこまでする必要はないと思います」
とサンデュ。

「演技に現れる魔法の瞬間というものは、たいてい余白や
空間の中から生まれてくる。
旧採点から新採点への移行期は、
まるでクビを切り取られたニワトリにようにじたばたしていました。
要求される要素をすべて詰めこむのは本当に大変だった。
やることが多すぎて忙しすぎる。あのころは滑っていて
あまり楽しくありませんでした。
でも今は、プログラムの中で
少しは遊ぶ余地ができた。これなら前よりも滑るのが
楽しめそうだと思ったんです」

 
当初は昨年2012年のカナダ選手権で復帰するつもりだったが、
予選を前にして左足を骨折してしまった。今シーズンは体調に
問題はないが、激しい練習をするとかつて手術した
両膝のどちらかが「文句を言う」という。


「今回の復帰全般に関してはとても謙虚な気持ちで
臨んでいます」とサンデュ。
「僕にとって、いちばん大切なのは自分の価値観と原則を守り、
そして自分のペースで物事を進めていくこと。それはつまり、
自分のすることを楽しみ、何があっても目標に向かって
努力するということです。
中でも大切なのは、スケートとの
つながりを取り戻すこと。ある意味で子供時代の自分を
取り戻すということでもあります。あのころはスケートが
本当に楽しかったから」とサンデュは続ける。
「でもスケートを続けるうちに、昔の愛や喜びを忘れて
しまうこともあった。それはスケートに対して
フェアじゃないと思ったんです」

 
競技を離れていた6年間、サンデュはいくつかのアイスショーに
出演した。そして2009年、初恋の相手であるダンスに戻り、
テレビ番組「So You Think You Can Dance Canada」に出演する。
しかしそれ以来、ときおりアイスショーに出演することはあったが、
表舞台に出ることはほぼなかった。

今回のカナダ選手権で、観客から温かく迎えられたことに
サンデュは深く感動した。

「観客は僕の復帰を歓迎し、演技も心から楽しんでくれた。
きっとスケートに対する僕の純粋な喜びと愛が、
彼らにも伝わったからだと思います」

 
現在、サンデュは将来に向けていくつかの道を考えている。
現役生活を続けるか、アイスショーに専念するか、
またはコーチと振付師になるか。

 
どの道を選んでも、サンデュは明確な目的意識を持って
進むことになるだろう。目標を設定し、最後までやりとげる能力が
自分にあることがわかっているからだ。それに、IJSの要求を
満たしながら、しかも自分自身でいられることも証明した。


「夢や目標を持ちながら、最後までやりとげなかったと
後悔するのは最悪の気持ちです。来シーズンも
現役を続けるかどうかはわかりませんが、
どちらに決めたにしても、今回の復帰を果たしたことは
自分にとって大きな財産になるでしょう」

 

16:13 Article translated into Japanese comments(0) -
記事訳

いつものごとく(本当に多謝!!!)Naomiさんが
先日リンクした記事をとても読みやすく訳してくれました。
非常に読み応えのあるよい内容の記事です。
ぜひご覧になってくださいね。

Sandhu's come back about joy of skatingの記事です。


******************************************

6年前に競技の世界から去ったとき、エマニュエル・サンデュは
フィギュアスケートへの愛をほとんど失っていた。
オンタリオ州リッチモンドヒル出身で32歳のサンデュは、
今週開催されるカナダ選手権に久しぶりに戻ってくる。
復帰の目的は、未完に終わっていた競技生活の
最後のページを完成させることだ。


「後から競技生活をふり返ったときに、喜びや幸せや満足感で
満たされないようではいやだった」とサンデュは言う。
「たしかにあまり前例のないことで、クレイジーかもしれませんが、
それでも挑戦さえしなかったら、この先一生そのことが
頭から離れないと思ったんです」

「これは僕にとって大いなる実験です」。
木曜日に会場となるハーシーセンターでの公式練習を
終えたサンデュは、そうつけ加えた。
客席では、近所の学校の子どもたち数十人が練習を見学している。

この子どもたちは、おそらくサンデュが誰だかまったくわからないだろう。


かつて「謎の選手」と呼ばれたサンデュは、将来を大いに
嘱望されていた。競技生活のハイライトは、
やはり2004年のグランプリファイナルでロシア人の絶対王者
エフゲニー・プルシェンコを破って優勝したときだろう。
しかし2006年のトリノ五輪では13位と惨敗。その4年前の
ソルトレーク五輪は、膝の怪我のために棄権していた。
サンデュは怒りとフラストレーションを抱えたまま競技を去った。

 
その後、サンデュは自らの原点であるダンスに戻った。
テレビ番組「So You Think You Can Dance Canada」に出演し、
男性ダンサーで3位の成績を収めた。


しかし、スケートリンクはずっと彼を呼びつづけた。
カナダ選手権を3度制したサンデュは、昨シーズンに
復帰に向けて動きだしたが、カナダ選手権の予選を前に
足を骨折した。


そして先月、スケートカナダ・チャレンジに出場して
競技への復帰を果たす。
チャレンジはカナダ選手権に向けた予選であり、
二度の世界王者のパトリック・チャンなどの選手は
出場を免除されている大会だ。サンデュはこの大会で
5位に入り、カナダ選手権への出場権を獲得した。


「ふとわれに返って、『なんで自分はこんなことをしているんだろう。
まったくスーパークレイジーだ』と思ったこともありますよ」と、
サンデュは笑いながら言う。

これはとても難しい挑戦であり、前例はほとんどない──
サンデュにとってもかなり勇気のいることだった。

「怖い気持ちもありますが、同時にわくわくもしています。
絶壁の縁から下を覗きこみ、ジップラインで思い切って
飛びだす感じに似ていますね」とサンデュは言う。
「でも僕は、未知のものを恐れる気持ちから
何かをあきらめたことは、これまでに一度もありません。
いつでも迷うことなく挑戦してきました」

 
サンデュは現在、連盟から強化費をまったく受け取っていない。
以前と同じようにバンクーバーに住んでいるが、
かつてのコーチのジョアン・マクラウドの指導はもう受けていない。
バーナビーの8リンクスでコーチを付けずに一人で練習している。
そしてときおり上の階へ行き、連盟役員のテッド・バートンの
オフィスを訪ねて技術的なアドバイスを求めている。


「自分に向かってこう言ったんです。
『エマニュエル、自分の運命は自分で握るんだ』って。
人生で起こることのすべてが貴重な経験です。今回の挑戦も、
長い目で見れば絶対に自分の糧になる。
僕は心からそう信じています。次に何をすることになっても、
この経験がきっと僕を後押ししてくれるでしょう」

 
今シーズンのプログラムは2つとも昔のものだ。
競技から離れていた間に大幅に変わった採点法に合わせて
手直しを加えてある。
公式練習では、期待の若手で
まだ14歳のナム・グエンも同じリンクで滑っている。
しかし、そんな「ジェネレーションギャップ練習」でも、
サンデュの身体は引き締まっていて力強い。


「だってまだ15歳のときのコスチュームが着られますからね」。
サンデュは笑顔でそう言った。
最近上海で行われた
アイスショーでは、ピアノの鍵盤の模様が印象的な
1998年の衣装を着用していた。

 
木曜日の練習着は上下とも黒一色──そして耳たぶの
上の部分からは安全ピンがぶら下がっていた。

「すごくポストパンク的な気分だったんです。
いちばん安上がりでポストパンクっぽくするには
どうすればいいかと考えてこうなった。ママはビックリしていましたよ。
『その耳から出ているものは何なの?』って」。
サンデュの母親はイタリア人で、父親はインド人だ。

 
サンデュは木曜日のインタビューの間、つねにリラックスして
笑いが絶えなかった。周囲の人たちも、6年前と比べて
人間的に大きく成長したと認めている。


「周りの人たちに感謝の気持ちを伝えるようになりました。
自分のために働いてくれる人たちがいることを理解し、
きちんとお礼を言っています」とバートンは言う。
「昔はそうではなかった。だから人生の浮き沈みが
とても激しかった。でも今の彼は、周囲への感謝の気持ちが
ずっと大きくなりました。それに軽妙なユーモアのセンスも
身につけた。これはとてもいいことですね」

 
サンデュはカナダ選手権で10回表彰台に乗っている。
今回の復帰については、他の選手たちからも
歓迎されていると感じている。


「エマニュエルが滑るところを見られるのはすごいことだし、
客席から僕の練習を見てもらえるのもすごいことだ」と
パトリック・チャンは言う。
「彼と一緒に滑れるのは本当に光栄なことです。僕がシニアに
上がったころに彼は競技を離れてしまったので、
一緒に滑る機会はまったくありませんでしたから。それに、
強い決意と集中力と熱意で、本当に復帰を実現したことも
尊敬しています」

 
木曜日に練習を見ていた人たちは、サンデュの優雅さと
力強さにあらためて舌を巻いた。


「若い選手たちはたしかに難しいことをしていますよ」と
バートンは言う。「しかし、久しぶりにエマニュエルの滑りを見て
思い出しました。動きの多くが本当に質が高いのです。
エマニュエルは昔からずっとそうでした。とても質の高い
演技をする選手だった。そして今滑る姿を見ても、
ただ『ワオ』と言って感嘆するしかありません」

 
しかしサンデュ本人にとっては、エゴとプライドを抑えることが
必要だったようだ。自分や周りの人に向かって、6年ぶりの
競技復帰だということを何度も強調しなければならなかった。
今回はトリプルアクセルも4回転も入れていないが、
それは準備の時間が少なすぎたことが主な原因だという。

 
サンデュの目標は現実的だ。今年3月にオンタリオ州ロンドンで
開催される世界選手権や、来年のソチ五輪のことは考えていない。

「究極の目標は、とにかくこの1週間を乗り切ることです」と、
サンデュは笑いながら言った。

 
では、長期の目標は?


「自分にあると信じている能力をすべて発揮すること、
そしてそれに向かって挑戦することです。今はただ、
一歩ずつゆっくりと進んでいます。毎日を大切にして、
リンクの上でのすべての瞬間を楽しもうとしています」

 
サンデュは言う。どんな結果になろうとも、いつかこの競技を
永遠に去ることになったときは、きっと穏やかな気持ちで
納得することができるだろう──それは、少なくとも
挑戦はしたからだ。


「いつも言っているんです。もし人生で最悪のカードを
配られてしまっても、次のカードが配られるまで待つべきだって。
次にどんなカードが来るかは誰にもわからないのですから」


***********************************************

改行など見にくい部分があったらすみません。
ちょっと時間がないので、とりいそぎアップします。

22:06 Article translated into Japanese comments(0) -
Sandhu hot on comeback trail 記事訳

いつもお世話になっているエマニュエルファンの翻訳家
Naomiさんが、私が飛行機に乗っていた間に
さっそく訳してくださいました!(大感謝!!)

よい記事と思いますのでぜひご覧ください。
長いので畳みますね。


 

続きを読む >>
22:10 Article translated into Japanese comments(2) -
パープルレインと別れの曲についての部分の訳

前投稿の英文記事のプログラムの部分の日本語訳です。
*****************************

2年ぐらいは「So You Think You Can Dance Canada」という
番組で忙しくて
スケートはほとんどしていなかった。
でも今はダンスでもスケートでもショーに出ている。充実しているよ。
にとっては夢のような状況だ。さっきまで練習していたプログラム
(ショパンの「別れの曲」)を見たよね。
僕にとってあのプログラムは、
限界を広げるという意味がある。もう限界ま
でやり尽くしたところで、
スケートの新しい方向性を探り、
何かを最初に行う人間になる。
最先端を行くんだ。だから1つのプログラムでスケートと
フロアダンスを融合してみたんだ

あなたのアイデアなの?
そう、僕のアイデアだ。フロアダンスのほうでもっと複雑な
動きも入れたかったんだけど
、ステージが濡れていたので
転ばないように慎重に動かなければならなかった。
SYTYCDカナダをやったことで、創造性が刺激されて
新しいアイデアがいろいろ生まれてきたんだ。
だからこのアート・オン・アイスみたいなショーに出られるのは
とても嬉しい
自由に創造性を発揮することができるから

 

昔のプログラムの「パープル・レイン」も練習していましたね。
あのプログラムにつても話してもらえますか。

「パープル・レイン」は2001年のプログラムだ。
僕はプリンスの大ファンなんだよ。怒りや暗さを感じさせるような
プログラムだけど、謝罪の気持ち明るい希望も込められている。
人はいつも幸せを一面的に捉えがちだけど、実際は幸せの中にあるのは
幸せだけじゃない。誰でも
そういった幸せの複雑さは理解できると思うよ。
SYTYCDカナダから学んだことが1つある。ミア・マイケルズという
振付師を知っているかな。
彼女に振り付けてもらえるチャンスがあって、
ある日のリハーサルのときに彼女がこう言ったんだ。
自分の中にある暗闇を大切にするのを怖がってはだめよ
醜さの中にも美しさはあるし、暗闇の中にも美しさはあるのだから」
パープル・レインのプログラムは、彼女のその言葉を体現しているんだ。
何度も滑ったから、今では僕の代表作だね。
僕の代表作って
そんなに多くないんだけど(笑)。
このプログラムは普段は
パープル・レインというスーツケースにしまっておいて、
そうしたいと
思ったときにスーツケースを開けて取り出すみたいな
感じかな
最初に滑ったときは悲しみと孤独の中にいたんだ。

 

今でも悲しくて孤独なの?

そんなことはないよ。だいぶよくなった。
だからわかってほしいんだけど、このプログラムは演じるのは
とても難しいんだ
。うまく言えないけれど、つらい思いを
しているときのほうがいい演技になるというか。
とてもドラマチックなプロ
グラムだからね。自分の中にある
暗闇のことは話したがらない人が多いけれど、
僕はそんなことはない。むしろ苦しんでいるときにこそ、
いちばん創造性を発揮できると感じることがたくさんある。

******************************
最近すっかり頼りきってしまってる、翻訳家の直美さんに
またまたお力をお借りしました。
プログラム以外の部分は私が訳して完成、ってことだったんですが
いつになるか不明&この素敵なインタを早く見ていただきたく
プログラムの部分だけ先に掲載します。
直美さん、いつもいつも、本当にありがとうございます!!!

23:37 Article translated into Japanese comments(0) -
アイスネットワークの記事訳 article translation into Japanese

先日ご紹介したアイスネットワークに掲載された記事を訳してみました。
若干(?)意訳したところはありますが、エマニュエルのインタビューもあり
いい記事だと思いますので、ぜひ読んでみてください。
(意訳しすぎまたは間違っている箇所があればご指摘お願いします。)

エマニュエル・サンデュはダンスできると考える

カナダのスケーターが氷を降りて才能を見せている

 

ルイス・エルファンの特別寄稿

 

2009年9月11日

今年のSo You Think You Can Dance Canada
(以下SYTYCDC アメリカで人気あるダンスオーディション番組のカナダ版)
のトップ20人に残ったダンサーのほとんどは
テレビで放送されるという状況で
演技をしなければならないのは初めてのことだ。


その中には3度のカナダ男子チャンピオンで世界選手権や
オリンピックで競技をした
エマニュエル・サンデュもいた。彼はその長い
スケートのキャリアの間、芸術性とダンスの質の高さで知られた選手である。
元国立バレエ学校の生徒である
サンデュは現在、別に情熱を注ぐものに
集中するためにスケートを保留している。

 

「たぶん、ナショナル・バレエを出た97年からはステージの上では
踊ったことがなかったかな。」サンデュは言う。
「カルチャーショックとまでは言わないけど、氷の上でやってたこととは全然違う。
でも慣れれば慣れるほど、どんどん共通点が見つかります。
どちらもパフォーマンス芸術ですから。そこがボクを集中させ続ける点かな。」

 

SYTYCDCの制作価値は凄いです。」彼は加えた。「ダンサーにとっては、
とても感化されるし、とてもモーチベーションになります。まるでロックスターに
なったみたいです。
エリートレベル−特にバレエで−と繋がっていた人たちと
芸術を体験できることは
とても素晴らしいと思うし、それをテレビを通じて
一般の人たちに広めたり、ポップカルチャーにも広げていけますし。」

 

トロントで育った28歳のサンデュは、(小さいころから)ダンスとスケートの
両方をしていた。
ダンスのクラスを放棄したことはなかったが、1998年の
カナダ国内選手権で2位になったことで、スケートがメインになった。
世界選手権の出場8回、最高は2006年の5位。数年間の間で何度か
グランプリシリーズで優勝(訳者注:優勝したのは2004年スケートカナダ、
2005年スケートカナダとカップオブチャイナの計3回)、2003月の

12月にはグランプリ・ファイナルで金メダルに輝いた。

 

彼の最後の試合は2007年の東京世界選手権。 
去年の
SYTYCDCには、トロントでのファイナルまでバンクーバーの
地区予選から勝ち進んだが、最後の番組制作までは残れなかった。
(訳者注:オーディションを勝ち抜いた男女各10名の、トップ20に

残ったダンサーでこのダンスショー番組は制作されていきます)。
今年はトップ20に
入ると固く決意していた。
しかし不幸にもスケートが彼の計画を妨害した。

 

3月にスイスでアート・オン・アイスというショーに出演中、最後のショーの
ウォーム
アップをしていた時に彼は右ひざの半月板を損傷した。
彼は手術を受け、リハビリに
励んだ。(訳者注:ショーは2月で手術は3月ですね。
細かいことを加えると半月板だけではなく、じん帯も痛めていました。) 
少しでも怪我を治す時間を長く取るため、
彼は住んでいるバンクーバーではなく、
(それより後の)トロントまで、オーディションを受けるのを遅らせた。

 

「去年は、たしかオーディションのことを知ったのは、当日の1日か2日前でした。」

サンデュは言う。「家でじっとして考えているばかりより、
<これをやらなきゃ!>って
感じで。実際ボクはオーディションに駆け込んで、
急いで靴の紐を結んで頭の中で
振付を考えて。それはとてもエキサイティング
でした。今年は、(怪我はしたけど)
もっとしっかり準備できたと感じているし、
ダンサーとしても去年より安定しています。」

 

スケートとこのショーの大きな違いの一つは、ダンサーが新しい課題を
習得しなければいけない時間がとても短いことだ。この番組は毎週日曜に
競技の収録があり、それは火曜日に放送される。そして視聴者が好きな
ダンサーに投票。翌日の水曜に
落とされるダンサーを発表する生放送。
(訳者注:この結果発表のときは、毎週著名な振り付け師による振り付けで
ダンサー全員で踊るパフォーマンスもあり。)
(男女各1名の)2人のダンサーが最後4組になるまで、毎週毎週2人ずつ
落とされていく。結果発表の翌日の木曜日、勝ち残った
ダンサーたちは
新しい課題を習得し始め、本番の日曜日までに仕上げなくてはいけない。

 

「ボクたちダンサーが克服しなくてはいけない感情的なキツさは、まるで毎週
ミニ・
オリンピックをやっているようなものです。演じるキャラクター、ジャンルの
スタイル、
与えられた課題のダンスのしきたりを具体的に表現しなくてはいけないし、
加えて
振付も習得しなければならないんです。」

 

シングルスケーターだった彼はパートナーと滑ったことはない。
今年のオーディションにより万全に臨むために、バレエスクールでパートナーと
踊るクラスを取り、さらに
ヒップポップ、ボールルームダンスなどのジャンルの
クラスも取った。サンデュは
パートナーと踊るのは大好きだと言う。最初の5週間は、
キム・ジングラスと組むことになった−もしどちらかが落とされることがなければ。
(訳者注:この記事が書かれたのは3週目のショーの収録前後)

 

「ボクはバレエを正規の教育を受けてきたものと考えています。
長年やってきましたからね。」彼は付け加えた。「ヒップポップを踊るときは、
バレエのクラスで習ってきたことを全部忘れないといけません。
まったく正反対のようなダンスですから。」

 

ショーはトロントで収録される。そのため彼の母親はこのショーに参加している。

オペラ歌手だった母親は、一番最初にサンデュをダンスのクラスに入れた人だ。

伝説のバレエダンサー、ルドルフ・ヌレエフが彼女にとってアイドルだったからだ。

 

「彼はボクにとってもアイドルでしたよ。」 さらにサンデュは、ヌレエフが当時の

ソビエト連邦から離れたことが、(バレエ)ダンスを北アメリカのポップカルチャーに

広げることに貢献したと言及した。「ボクが元のところに戻ったような形になって

母はとても幸せなんじゃないかな。」

 

取材時、サンデュはちょうど3度目のショーを収録するところだった。カナダの
ファンは
このショーをCTVで見て、電話投票することができる。またCTVのサイトで
ビデオを
見ることもできる。カナダ以外の人は、彼のパフォーマンスのほとんどを
Youtube見つけることができるかもしれない。

 

サンデュのスケートのファンに対して、サンデュはSYTYCDCに出ることは引退を
意味するものではない、と言う。 彼はまだ出場資格を維持しており、競技への
復帰への
ドアを完全に閉ざしてはいない。

 

「スケートは長い間ボクの人生の大きな部分を占めてきました。
スケートはたくさんの
喜びとともに、たくさんの悲しみをもたらしました。
完全にやめたいと今言えるような
存在ではないんです。スケートがあったから
今のボクがあり、だからこそダンサー
としてのボクがいるんです。」 

そして、それはまだ続いていく。

 




01:08 Article translated into Japanese comments(0) -
記事を訳してみました。

先日リンクした、ゴールデンスケートで紹介されていた、Shadi Elienの記事が
よかったと思ったので訳してみることにしました。

写真付きの元記事(英語)はこちら。


以下、私の訳です。
翻訳のプロではないので、間違っている部分があれば訂正しますので、
ご指摘お願いします。


* * * * * * * * * * * * * * *


SYTYCDC Shadi Elien記事訳

 

 「第一印象が悪いと次のチャンスはない」という古い英語のことわざがあるが、
2009年のSo You Think You Can Dance Canadaのトップ20人に残った
バンクーバーのエマニュエルサンデュには、どうやらあてはまらなかったようだ。

 

 28歳のオリンピック出場経験のあるフィギュアスケーターは、去年は、バレエで
培った表現豊かな動きを見せつけたが、意外にもトップ20人には残れなかった。

 

 1年後、彼は戻ってきた。力を証明する準備はできている。

 

 「もちろん僕はこのショーの一部でありたかったし、あのとき(トップ20に)
残れなかったのはとても残念だった。」 ショーの録画が行われたトロントから、
オンラインで彼は我々(Straight)に話してくれた。 
「でも僕はそのとき受けたトレーニングや今年再挑戦することへの勧告を

真摯に受け止めて、それを実践した。」

 

 クラシックバレエの教育を受けた世界レベルのフィギュアスケーターは、
過去(の実績)にはこだわらない姿勢を見せ、去年のオーディションで言われたこと
すべてに対する弁解を拒んでいる。 
「フランスの素晴らしいことわざに、後悔するより反省するほうがいい、
というものがあるんです。 ある(悪い)状況から何も学ばない場合だけ
失敗になる、ということです。」

(要するに、エマニュエルはあの悪い状況から学んだ、ということでしょう・訳者注)

 

 「僕は少し不安を感じて、恥ずかしくなりました。 僕の考え方の表現の仕方が、
自分が思っていたより少しぎくしゃくしていたんだろうと。 
僕は自分が他の人たちよりすごいと思っているんじゃなくて、
ただ、大きな夢を持っているだけなんです。」

 

 大きな夢は多くの努力と鍛錬を要する。 それはサンデュにとって目新しい
コンセプトではない。 彼はトロントのナショナル・バレエ・スクールに通っていたし、
10年近くもの間、フィギュアスケートの分野でとても高いレベルのトレーニングを
積んでいたのだ。

 

 彼が情熱を注ぐ2つのうちのどちらかを選択しなければいけなくなったとき、
サンデュはスケートに集中することを選んだが、一方でダンスも続けていた。 
彼が説明するには、ダンスは氷上の演技で演劇的な美しさを見せるのに役立ち、
同じように、スケートは、彼のステージでのパフォーマンスに役立つという。

 

 サンデュは自身のことを<社交上シャイな>男だと思っている。
しかし、スケートとダンスが彼にとっては自己表現の手段なんだと
気付いたのだという。 「この2つを繋ぐ決め手となったファクターは、
演じる芸術という点と、エンターテイメント性があるという点で、それが自分に

とってはとてもエキサイティングなことなんです。だから、何か演劇的なことを
することにとても惹かれるんです。」

 

 2010年のオリンピックはすぐそこまで迫ってきている。 サンデュは
バンクーバーで開催の冬季オリンピックに競技者として参加するかどうかに
ついては、明言を避けている。 このダンスの競技に非常に集中し続けている。 
「僕が今現在集中しているのは、1日1日、一週間、一週間を集中することです。 
馬を乗せる前にクルマを動かさせるな、ということを覚えておくことは大事だと思う。
(要するに、物事には順序があるということでしょうか。。 訳者注) 
僕にとっては、今はダンスに集中して状況をよくすることに集中したい、
ということです。」

 

 今夜放送されるパフォーマンスのエピソードでは、カナダの最高のダンサーに
なることを夢見るほかの19人の参加者とともに、サンデュも取り上げられる。 
競技者たちは、パートナーとダンススタイルを毎週アサインされ、観客が
お気に入りのダンサーに投票する。 カナダが愛するダンサーとして選ばれた
勝者には、10万ドルの賞金と、マツダのスポーツカーが与えられる。

 

 去年は惜しくも逃してしまったトップ20入りを果たしたサンデュは、
カナダの人たちに、彼がステージの上でどんなことができるかを
披露できるのを楽しみにしている。 「過去を振り返るのはかまわないけど、
ずっと見続けるものではない。」 彼は思慮深く言った。

 


 

02:09 Article translated into Japanese comments(0) -
ブログ投稿の日本語訳(意訳)
さきほどご紹介したエマニュエルのブログの投稿を
訳したものを投稿します。(若干変更を加えました 25日15時)

ARDのショー27日に放送。お見逃しなく!


ドイツのファンのみんなは27日にARDテレビにチャンネルを合わせて
ダニエル・ワイスがホストを務めるARDのガラを見なくちゃ、だよ!
これ23日にドイツのドレスデンで収録したんだけど、ボクの好きな
ショーのひとつ。

他の国に住んでいるファンのみんなは、誰かがYoutubeに投稿してくれると
思うから、ネットで探してみてね!

ボクはアヴェマリアを滑ることにしたんだ。
これはショーの主催者からのリクエスト、というのも、
このホリデーシーズンにはぴったりのナンバーだからね。
ボクは今回、若いテノール歌手のリカルド・マリネロの歌う
シューベルトのアヴェマリアをライブ共演で滑るという特権を
与えてもらった。これはいつも使ってるトーマス・ハンプソンの
バージョンとはちょっと違うんだ。リカルドは素晴らしい歌い手で
ボクのナンバーの幅を広げてくれた。これは見逃したくないでしょ!

2つめのナンバーは、こっちもリクエストだったんだ。
これは僕といえばコレってナンバーの一つだと思うんだけど、
ジャスティン・ティンバーレイクのライク・アイ・ラブ・ユー。
このエキシビションはまるでフリープログラムみたいだよ。
4分間ノンストップで踊って滑るんだからね。
(しんどいけど)でも披露するのが好きなナンバーの一つだよ。
天才的な手柄だと思ってる。(←この部分うまく訳せなかったけど、
このプログラムを振りつけたのはプロのダンサー、
それを氷の上で表現する自分がいて、このプログラムが
成り立つ、なんて素敵なことだろうね♪って感じかな?と ^^;)

ボクはこのショーがこれまでドイツで滑ってきた中で一番好きかな。
ドレスデンは美しい街で観客もとっても温かくて感受性が強くて
彼らのために滑ることは楽しかったーありがとう!

そんなわけで。。。 テレビをつけて、ゆったり座ってショーを楽しんでね!

エマニュエル

**************************

今となってはショーに出演する機会さえ、あまりないわけなので
その分、人前で滑ることの喜びも大きいのかな?とも思いますし
それがこの投稿で表れているのかな?という気がします。
この投稿は帰国便を待つドレスデンの空港でしているようなのですが
(もしくはドレスデンのホテル?)こういう楽しい投稿を、帰国前に
してくれるのは読んでいても嬉しいですね。
続きを読む >>
22:36 Article translated into Japanese comments(0) -
センターステージへ。
意訳してしまった部分もありますが、さきほどの記事を訳してみました。
興味のある方、どうぞ。
違訳になってしまっている部分があれば、ご指摘いただけると嬉しいです。


* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

カナダのフィギュアスケートチャンピオン、エマニュエル・サンデュ、
センターステージに

バンクーバーでのオーディションの長い一日の終わりに、
ひょろっとした自信たっぷりのダンサーが、彼独特のステップを見せるため
ブスタ・ムーブのブースに上がった。

このブースでは、これまで何百人というダンサーが一日中、シェイクし、
シミーし、ジャイブするのを見てきた。
しかし、この男はちょっと違ったものを見せた。3回転のスピン、
空中に高く跳び上がり、そして完璧に着地した。

それは彼にとって初のダンスオーディションだった。しかしこの男には、
説明しなければならない競技経験と衝撃があった。

続きを読む >>
02:23 Article translated into Japanese comments(0) -
Translation Sandhu focusing on Olympic Dream
sorry, this entry is available
only in Japanese

訳しててちょっとシュンとしてしまったりもしましたが、
とりあえず、自分の英語の勉強もかねて、持ってた
アメリカのスケート雑誌を訳してみました。

IFSマガジンの2005年10月号より

サンデュはオリンピックドリームに集中している
by Susan D. Russel from IFS OCT2005 issue  

エマニュエル・サンデュは彼の人生の中でもっとも大切な
シーズンになるであろう今季用の新しいプログラムを
作るため日々練習をしていた。
彼と彼の長年のコーチ、ジョアン・マクラウドは、
オリンピックシーズンへ向けた両プログラムを振付けた。

サンデュは2004年シーズンのアップアンドダウンを
繰り返す気はさらさらないと話した。2005年の
世界選手権で満足しがたいショートプログラムを滑った後、
彼はリンクに戻って力強いフリーを滑った。試合終了後の
モスクワのルジニキアイスパレスのスコアボードには、
アメリカのライサチェクがフリー3位と表示されていたが、
その後掲示されたISUの公式結果では、サンデュが
フリー3位だった。

「世界選手権ではあらゆることが起こりえます。」
サンデュは言う。
「ショートプログラムの後、僕はやってやるんだ、ベストを
尽くすんだと決意をして、実際そうしました。あの試合では
自分に多くのプレッシャーをかけてしまいました。
今シーズンは僕は違った態度で臨んでいます。僕はもっと
満足のいく結果が今シーズンはほしいんです。」

「僕はこの沸き立つ気持ちをキープし、すべての練習を
価値あるものにしなくてはいけません。
オートパイロット・システムは驚くべきツールです。
(訳者注:オートパイロット=潜在意識、として
心理学的な知識に基づき語っているものと思われます)
でも残念ながら僕は自分に対してもっとも厳しい批判家で、
常にすべてのジャンプがパーフェクトでないと、と
考えてしまうんです。今はポップするよりは、こけても
トライしてクレディット(きちんと回転して挑戦した要素の
基礎ポイントを得ること)されるほうがマシだと
理解しています。以前はちゃんとわかってなかったけど。
最低でも、挑戦して(回転した)ジャンプは、要素点として
ポイントを得る、それは、心理的にはとても助けになります。」

シーズンの終わりにサンデュはいくつかのショーで滑り
バンクーバーでのスターズ オン アイスもゲストとして
出演した。

このインタビューをしたのは、夏のトレーニングの真ん中
あたりだった。(訳者注:エマのホームリンクは6月下旬から
練習内容がサマープログラムになり、朝の練習開始時刻も
冬より早く、オフアイスの練習メニューがよりハードになる)

「僕は朝から練習を始め、丸一日、シーズン中より長い時間
練習に励みます。毎日長めにやっているのが、これまでとは
一番違うところじゃないでしょうか。」

プレスとの記者会見のとき(世界選手権後のこと?)
彼はシーズンを8月の州のトレーニングキャンプからスタート
させるプランでいた。

スケートカナダは9月にナショナルチームの全員をトリノに
派遣し、チームメンバーがオリンピック会場で滑り、
オリンピック開催都市を体験するようプランしている。
サンデュはこれを素晴らしいアイディアだと考えている。

「僕はこの機会を最大限生かしたいです。ほかのオリンピック
選手からは、これは2006年のオリンピックを少し体験
しているようなものじゃないかと言われていますよ。」

サンデュはこのシーズン、グランプリシリーズには
スケートカナダとカップオブチャイナがアサインされている。
「僕のコーチは、2週続けて試合に出ることは、
僕にとってはいいことだと考えています。」と彼は話した。

オリンピックまであと7ヶ月を切った。
彼はこの一流のイベントに参加することにエキサイトしている。
「これは僕にとって2回目のオリンピックです。
(2002年ソルトレイクは怪我で当日棄権したものの
オリンピックには派遣されているため)
だからとても楽しみにしているんです。僕は今現在に
集中していてこれは個人的にはとても大事なことだと
わかっています。」

「もし金メダルを取ることができれば、それは
素晴らしいことです。僕はまさに勝つために今こうして
いるのですから。プルシェンコやランビエールのような
スケーターたち、僕たちはみんな金メダルのために
頑張っているのです。勝てるのはたったの一人です。
だから僕は勝つためにあらゆることをやるんです。
僕にとっては、厳しい練習をして頑張ることが
その目的達成のための唯一の方法なんです。
僕は新しい採点方法を、もっとトランジションを
クリエイティブにしたりもっとスピードを出すように
したりしながら受け入れつつあります。たぶんスピンを
よくすることが一番大事じゃないかと考えています。
昨シーズンは試合でスピンの回転数が足りなくてレベルを
下げられていましたから。」

スケート以外にも、サンデュには開花させようとしている
キャリアがある。
「僕はボイスレッスンをずっと受けていて、近々ポップ曲の
デモのレコーディングをしたいと考えています。」
加えてダンスのクラスも受講している。昨シーズンの終盤、
彼はハーバーダンスセンターでのミュージカルの
ワークショップに6週間参加した。

彼は2006年以降の去就についてもオープンにして
おきたいのだと言う。
「オリンピックごとに考えています。2006年以降も
現役を続けるか? それはシーズンが終わってからお知らせ
しますよ。」



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