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カナダ人フィギュアスケーター、エマニュエル・サンデュ選手のファンブログです。
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アイスネットワークの記事訳 article translation into Japanese

先日ご紹介したアイスネットワークに掲載された記事を訳してみました。
若干(?)意訳したところはありますが、エマニュエルのインタビューもあり
いい記事だと思いますので、ぜひ読んでみてください。
(意訳しすぎまたは間違っている箇所があればご指摘お願いします。)

エマニュエル・サンデュはダンスできると考える

カナダのスケーターが氷を降りて才能を見せている

 

ルイス・エルファンの特別寄稿

 

2009年9月11日

今年のSo You Think You Can Dance Canada
(以下SYTYCDC アメリカで人気あるダンスオーディション番組のカナダ版)
のトップ20人に残ったダンサーのほとんどは
テレビで放送されるという状況で
演技をしなければならないのは初めてのことだ。


その中には3度のカナダ男子チャンピオンで世界選手権や
オリンピックで競技をした
エマニュエル・サンデュもいた。彼はその長い
スケートのキャリアの間、芸術性とダンスの質の高さで知られた選手である。
元国立バレエ学校の生徒である
サンデュは現在、別に情熱を注ぐものに
集中するためにスケートを保留している。

 

「たぶん、ナショナル・バレエを出た97年からはステージの上では
踊ったことがなかったかな。」サンデュは言う。
「カルチャーショックとまでは言わないけど、氷の上でやってたこととは全然違う。
でも慣れれば慣れるほど、どんどん共通点が見つかります。
どちらもパフォーマンス芸術ですから。そこがボクを集中させ続ける点かな。」

 

SYTYCDCの制作価値は凄いです。」彼は加えた。「ダンサーにとっては、
とても感化されるし、とてもモーチベーションになります。まるでロックスターに
なったみたいです。
エリートレベル−特にバレエで−と繋がっていた人たちと
芸術を体験できることは
とても素晴らしいと思うし、それをテレビを通じて
一般の人たちに広めたり、ポップカルチャーにも広げていけますし。」

 

トロントで育った28歳のサンデュは、(小さいころから)ダンスとスケートの
両方をしていた。
ダンスのクラスを放棄したことはなかったが、1998年の
カナダ国内選手権で2位になったことで、スケートがメインになった。
世界選手権の出場8回、最高は2006年の5位。数年間の間で何度か
グランプリシリーズで優勝(訳者注:優勝したのは2004年スケートカナダ、
2005年スケートカナダとカップオブチャイナの計3回)、2003月の

12月にはグランプリ・ファイナルで金メダルに輝いた。

 

彼の最後の試合は2007年の東京世界選手権。 
去年の
SYTYCDCには、トロントでのファイナルまでバンクーバーの
地区予選から勝ち進んだが、最後の番組制作までは残れなかった。
(訳者注:オーディションを勝ち抜いた男女各10名の、トップ20に

残ったダンサーでこのダンスショー番組は制作されていきます)。
今年はトップ20に
入ると固く決意していた。
しかし不幸にもスケートが彼の計画を妨害した。

 

3月にスイスでアート・オン・アイスというショーに出演中、最後のショーの
ウォーム
アップをしていた時に彼は右ひざの半月板を損傷した。
彼は手術を受け、リハビリに
励んだ。(訳者注:ショーは2月で手術は3月ですね。
細かいことを加えると半月板だけではなく、じん帯も痛めていました。) 
少しでも怪我を治す時間を長く取るため、
彼は住んでいるバンクーバーではなく、
(それより後の)トロントまで、オーディションを受けるのを遅らせた。

 

「去年は、たしかオーディションのことを知ったのは、当日の1日か2日前でした。」

サンデュは言う。「家でじっとして考えているばかりより、
<これをやらなきゃ!>って
感じで。実際ボクはオーディションに駆け込んで、
急いで靴の紐を結んで頭の中で
振付を考えて。それはとてもエキサイティング
でした。今年は、(怪我はしたけど)
もっとしっかり準備できたと感じているし、
ダンサーとしても去年より安定しています。」

 

スケートとこのショーの大きな違いの一つは、ダンサーが新しい課題を
習得しなければいけない時間がとても短いことだ。この番組は毎週日曜に
競技の収録があり、それは火曜日に放送される。そして視聴者が好きな
ダンサーに投票。翌日の水曜に
落とされるダンサーを発表する生放送。
(訳者注:この結果発表のときは、毎週著名な振り付け師による振り付けで
ダンサー全員で踊るパフォーマンスもあり。)
(男女各1名の)2人のダンサーが最後4組になるまで、毎週毎週2人ずつ
落とされていく。結果発表の翌日の木曜日、勝ち残った
ダンサーたちは
新しい課題を習得し始め、本番の日曜日までに仕上げなくてはいけない。

 

「ボクたちダンサーが克服しなくてはいけない感情的なキツさは、まるで毎週
ミニ・
オリンピックをやっているようなものです。演じるキャラクター、ジャンルの
スタイル、
与えられた課題のダンスのしきたりを具体的に表現しなくてはいけないし、
加えて
振付も習得しなければならないんです。」

 

シングルスケーターだった彼はパートナーと滑ったことはない。
今年のオーディションにより万全に臨むために、バレエスクールでパートナーと
踊るクラスを取り、さらに
ヒップポップ、ボールルームダンスなどのジャンルの
クラスも取った。サンデュは
パートナーと踊るのは大好きだと言う。最初の5週間は、
キム・ジングラスと組むことになった−もしどちらかが落とされることがなければ。
(訳者注:この記事が書かれたのは3週目のショーの収録前後)

 

「ボクはバレエを正規の教育を受けてきたものと考えています。
長年やってきましたからね。」彼は付け加えた。「ヒップポップを踊るときは、
バレエのクラスで習ってきたことを全部忘れないといけません。
まったく正反対のようなダンスですから。」

 

ショーはトロントで収録される。そのため彼の母親はこのショーに参加している。

オペラ歌手だった母親は、一番最初にサンデュをダンスのクラスに入れた人だ。

伝説のバレエダンサー、ルドルフ・ヌレエフが彼女にとってアイドルだったからだ。

 

「彼はボクにとってもアイドルでしたよ。」 さらにサンデュは、ヌレエフが当時の

ソビエト連邦から離れたことが、(バレエ)ダンスを北アメリカのポップカルチャーに

広げることに貢献したと言及した。「ボクが元のところに戻ったような形になって

母はとても幸せなんじゃないかな。」

 

取材時、サンデュはちょうど3度目のショーを収録するところだった。カナダの
ファンは
このショーをCTVで見て、電話投票することができる。またCTVのサイトで
ビデオを
見ることもできる。カナダ以外の人は、彼のパフォーマンスのほとんどを
Youtube見つけることができるかもしれない。

 

サンデュのスケートのファンに対して、サンデュはSYTYCDCに出ることは引退を
意味するものではない、と言う。 彼はまだ出場資格を維持しており、競技への
復帰への
ドアを完全に閉ざしてはいない。

 

「スケートは長い間ボクの人生の大きな部分を占めてきました。
スケートはたくさんの
喜びとともに、たくさんの悲しみをもたらしました。
完全にやめたいと今言えるような
存在ではないんです。スケートがあったから
今のボクがあり、だからこそダンサー
としてのボクがいるんです。」 

そして、それはまだ続いていく。

 




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